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犬養毅に見る岡山県民の「競争心」 ~負けるのが大嫌い 

岡山県民の性格は、常日頃から気持ちが前向きであって、とても利発的であると言われている。

そのせいなのかお隣だというのにカープで有名な広島よりも兵庫を超え先のタイガースが気にかかっているようだ。

郷土に対する意識はそれといってないが、競争意識が非常に強く、負けてしまうのは大嫌い。その気持ちは群を抜いています。国内生まれののジーンズを発祥した地というのも自慢のタネとなっている。

パパッと頭が周りすぎるあまりに

岡山県人は頭の回転が速いから、どんな場合でも機敏に応じられるという。 

その上向上心が強い。けれども、そのすぐれた能力を自分に過ちがある局面で発揮してしまうと、周囲の目には「片意地をはる」応対しにくい人に映ることもある。

そういった岡山県人らしい殿様が、江戸時代に存在した。

寛政の改革で知られている松平定信が質素倹約を唱え、「あれも禁止、これも禁止」と 世の中の奢侈(しゃし)やぜいたくに目を鋭くさせていた時代。

備前岡山藩の第五代藩主池田治政は贅沢三昧な殿様で、煙草は銀製の煙管で紫煙をくゆらせていた。そのことがわかった定信は眉間にしわを寄せ、銀細工品を使用することを不可とした。

しかし、治政は平気の平左で、「そうとなったら」と金製の煙管をくわえて登城。「銀がダメとされたので、しかたなく金にしました」と、スッパスッパと煙草を吸った。

治政の機転勝ちである。 さらに、女遊びが盛んな治政が吉原に入りびたりになると、定信は頭から湯気を立てて訓戒した。

すると治政、「わが池田家は先祖の武勲により大国を領し、その財で楽しむのに何をはばかる必要があろうか。

つま楊枝で重箱の隅をつつくような干渉は迷惑千万」と切り返し、それからも、華やかな装いで正々堂々と吉原を訪れたという。 

このような治政に定信はかなりてこずったようで、「越中も越されぬ山が二つあり。京で中山、備前岡山」という落首(落書)もされた。

「越中」は定信、「中山」は公卿の中山大納言、それから「岡山」が治政のことを言っている。

「負けず嫌い」な性格で右に出る者はいない

岡山県は中国地方に属しているが、岡山県の人の目は中国地方ではなく近畿地方の方に向いているという。

当然、お隣である広島県に対する親しみは大きいが、昔から政治や経済、文化の中心となっていた大阪や京都、兵庫、奈良に向けての親近感も大きいという。 

全体的に「利発」であって「向上心がある」岡山県に住む人の心の奥底には、「岡山は田舎じゃけんど、大阪や京都の人に対して頭では勝てると思うけぇ、大阪や京都がなぜか気になるんじゃ」といった感情があるのではないだろうか。

というところで、岡山県人は「対抗意識が強く」、そのぶん「負けず嫌い」の人がたくさんいるという。 

五・一五事件で「話をすればわかる」と言ったのに、話を聞いてもらえず命を落としてしまった時の首相犬養毅。碁を嗜み、その手の内もたいしたものだった。

ある時、巨額なお金を払って高価な碁盤を購入すると、その噂を聞いた碁仲間が犬養の家へお邪魔した。 

「さて一局」となり、犬養は奥の広間に碁盤を取りに行った。けれども、持ってきたのは以前と変わらない碁盤。

客人は当てがはずれ、「ぜひとも、大枚はたいた碁盤で一局お願いします」。それに対して犬養、「あの基盤は初段以上と対局するとき用なんじゃ」。 

道楽の場でさえしっかりと序列をつけた犬養は、ふだんから「順番」や「勝ち負け」にこだわる人だったのだろう。 

犬養と言ったら、慶應義塾の学生時代、学校の成績をクラスメイトと張り合っていた。犬 養は調子よくいけば成績トップで卒業できてしまうほど学力が優れていた。

ところが、目の前に強力な競争相手が現われ、どうしても抜くことができなかった。2人の差はごく僅か1点。犬養は2番の成績で卒業することが決定した。 

ふつうであれば、「2番でも上位。、まぁいいか」と思うだろうが、岡山県生まれの犬養はそうはいかなかった。「どうして、あいつが1番なんじゃ。許せない」といらだちを見せた。

そのあげく、犬養は卒業目前に退学をしてしまう。退学した理由は「一生、慶應義塾2番卒業と言われるのはイヤじゃけん」だったというから余程の負けず嫌いだったのだろう。