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1万円札に印刷された福沢諭吉は大分県民~協調性がなかった?

幕末にアメリカやヨーロッパを見て回り、当代一の新知識人となった。

「個人主義」「自主独立」といった福沢のくらしは、大分県人の気風そのものであり、1860(万延元)年、幕府の遣米使節に随行した福沢は、そこでも県民性をいかんなく発揮している。 

滞米中の一行の多くは、日本へのみやげにアメリカで初めて見た「のぞき眼鏡」 やギヤマン(ガラス)のコップなど珍品を買い求めた。

しかしながら、自主独立、平たくいえば「協調性がない」福沢は、みんなとつるんで珍品を買うことはしなかった。 

彼がアメリカで購入したのは、ウェブスター編の英語辞書一冊であった。福沢は日本に帰ってからも役立つものにしか興味がなかったのだ。

さすが、一万円札。偉くなる人は目のつけどころが違うと思ったら、実は、通訳の中浜万次郎(ジョン万次郎)も同じ英語辞書を買っていたという。

ちなみに、万次郎は四国の高知出身だ。 さて、無事アメリカ見学をすませた福沢一行は、咸臨丸に乗船。船が港を離れると、福沢はなにやら写真を一枚取り出し、仲間に見せびらかした。

すると、見せられたみんなが「うん、いつのまに……」とくやしがったという。 

その写真とは、福沢がみんなの目を盗んで、ちゃっかり写真館のかわいい女の子と一緒に写った写真だった。さすが、自主独立の大分県人。

県民の性格を象徴する「赤猫根性」って? 

大分県の県民性をよく表わすことばに「赤猫根性」というのがある。

それを意味するところは「ケチ」で「がめつく」、「偏屈」で「利己的」で「協調性がない」というもの。

よくぞこんなに悪態を詰め込んだものだと思うほど、大分県人には面白くない内容だ。 

実際のところ、大分県人は「よだきい」ということばをよくつかう。「大儀」「おっくう」という意味で、福岡や宮崎でもつかっている方言だ。

大分県人の場合、一緒になにか作業をしようと集まろうとすると、「よだきいから、やめとくわい」と加わるを拒む人がよくいる。

それで「よだきい」は、大分県人の協調性のなさの象徴といったようなことばになった。 なぜ、そんなに大分県人は自己中心で自分勝手なのか? 

歴史的に豊の国(大分)は小さな藩が寄せ集まった国であり、各藩がそれぞれ生き延びるのに必死だったという。

だから、みんなで手を取り合いながら、なにか一緒にことをはじめるという習性が育たなかったというのだ。 ところが、この赤猫根性が、かえって幸いすることもある。

それは、県知事がしかけた「一村一品運動」をすすめたとき。

「温泉でもカボスでも焼酎でもとにかくどんなものでもいいから、なにか一品誇れるものをつくろうよ」という呼びかけに、県内60弱の市町村が、それこそ他の市町村と協調することなく自分勝手に取り組んだ。 

その結果、いまでは大分県には多くの特産物が誕生していて県を活性化させている。これが、県の特産物を一品つくるために各市町村に呼びかけていたら失敗していただろう。

「わしのところの村は、よだきいからけっこうだわい」と言って共働を拒むところが続出しただろう。 だが、自分自身の市町村のことだけ考えればいいとなると話は別。

大分県の人はがぜん力を発揮する。一村一品運動は、赤猫根性を逆手にとった素晴らしいアイデアだったのだ。

感情はコロコロ変わるもの 

大分県の県民の性格は、複雑だ。「情熱的」で一気にのめり込むこともあれば、飽きやすく「淡白」な一面を持つ。

また、「協調性に欠ける」 のとは別に、来るものは拒まずの「柔軟性」も合わせもっている。ひと言でいえば、気分にムラがあるので、他県の人にとっては付き合い辛いタイプも多いかもしれない。 

そのような県民性をいかんなく発揮したと思われるのが、戦国の時代に「キリシタン大名」として知られている大友宗麟。

宗麟もまた複雑な性格の持ち主だったらしい。歴史学者や研究者のメンバー内でもその評価が分かれ、才気煥発で正義感旺盛、進取の気性に富んでいたという見方もあれば、わがままで粗暴、好色で冷酷、優柔不断で気弱という評価も。 

ちなみに、宗麟というのはのちに剃髪したときの法号であり、それ以前は「義鎮」といった。