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新しいことにチャレンジする栃木県民~でもなぜか地味で目立たない

都道府県名が表示されていない日本地図を広げて、各県の位置をたずねたとき、どこに存在するのかわかりにくい県というのがいくつかある。 

栃木県もそのひとつで、群馬県とまちがえられたり、東北のどこかの県とまちがえられたりもしてしまう。

「宇都宮市が県庁所在地の県はどこ?」と位置を指し示すクイズ問題ができるくらいだ。要するに、なぜか目立たないのだ。 

そんな県のイメージにならったのか、栃木木県の県民の性格としてあげられるのは「口数が少ない」「おとなしい」「目立たない」なんて言われるもの。

「宇都宮餃子」に秘められたチャレンジ精神

「栃木には宇都宮の餃子もあるし、佐野のラーメンもある」との抗議もあるかもしれないが、「どちらも、栃木に行かなければ食べられないわけじゃないしね」とスッパリ返されるかも。 

たしかに、宇都宮の餃子は知名度が高いが、そもそもなぜ宇都宮なのか、他県の人はわかっていないだろう。

ふつうに考えると、宇都宮の特産品と関連があるようにも思えるが ……実はまったく関係ないという。 

戦時中、宇都宮に陸軍の部隊が駐屯していたが、この部隊、かつては中国東北部に進駐していた。そこで覚えた餃子の味を駐屯地の宇郡宮に広めたのがはじまりだ。 

それでは、ただの受け売りではないかと否定してはいけない。多少なりとも工夫もしている。よりスタミナがつくようにと、本場の中国餃子には入っていなかったニンニクを入れたのだ。

この栃木県人の知恵は、素直にスゴイと思う。 宇都宮にはもうひとつ誇ることができるものがある。

1885(明治18)年、現在のJR東北本線の前の形である日本鉄道が上野~宇都宮間に開通したとき、日本で最初に駅弁を売り出したのが宇都宮駅なのだ。  

梅干人りのゴマ塩をかけたにぎり飯2個とタクワンを竹の皮で包んで、お値段は5銭なり。その当時、そば一杯の代金が8厘だったから、なんと6倍以上もする高額な弁当だ。

「おにぎりなのに高すぎないか」と感じた乗客がたくさんいたのだろう、ほとんど売れなかったという。

駅弁というアイデアはとてもよかったが、弁当の中身があまりに地味だった。どうも栃木県人はやることが中途半端になってしまう。

「それなら、これはどうだ」というのが、日本初の遠足。

1875(明治8)年、栃木県の永清館(現矢板市立泉小学校)の40人の生徒が寺山観音参りをしたのが、のちに遠足や修学旅行と呼ばれる学校行事のスタートだったとう。

栃木県人は結構新しいことにチャレンジしているのだが、どうしてなのどうか地味で、目立たないのが残念。

県民のいい所を生んだ、足利尊氏の「三徳」

室町幕府を開いた足利尊氏は、その名前のとおり現在の栃木県足利市の出身だ。

栃木県は元々下野国(野州)と呼ばれていたが、京の人たちから見れば東国の野蛮な国(失礼!)。

野州の「野」は野蛮人の野というわけだ。その野州から京にやってきた武人である尊氏は、都人の目にはまさしく野蛮に映ったにちがいない。

そんな尊氏のイメージは栃木県民の気質でもあり、「武骨」で口数が少ないのに、一回でも話すと「声が大きい」「ことばは荒い」、おまけに「気も荒い」ときているから、初対面の人のイメージはよろしくない。
 
しかし、そんな印象や外見とは違い、「根はやさしい」のが栃木県人。尊氏が帰依した禅僧の夢窓疎石は、尊氏をこう評価した。

 1に、争いに際しては笑みを含み、恐れる気色がまったくなかった

 2に、慈悲心が厚くて、人を憎んだり恨んだりすることが滅多になかった

 3に、心が広く、もの惜しみしないで、自分がもらったものをみな人に与えた

この尊氏の3つの長所は「尊氏の三徳」と言われているが、これはそのまま今の栃木県の県民性でもある。一見武骨な野州人は、野性味をのこした心やさしき人々なのだ。