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京都人は「京都の他はみんな田舎」という意識を持っている

プライドはどんなところに住む人よりも高めだが、千年の古都にくらしている人は、意外なことに古くから新しもの好き。

定評ある「口のひどさ」にしても、雅が漂います。「イケズ」の奥は実は深いようです。

京都人は過去を生きている。

京都のお年寄りの多くが「へぇ、前の大戦で焼けてしまいましてなぁ」と話すときの「大戦」とは、第二次世界大戦とは違って応仁の乱(15世紀)の事だという。 

こういった京都の人の話には、千年の長い歴史を持つ王朝文化の地に生きつづけてきた京都人の誇りが込められている。

けれども、異なったとらえ方をすると、京都人は現在でも京都が日本中の主役だと思っているフシがある。

つまりは、過去に生きているとは、「自尊心が高い」ということを揶揄した言葉でもあるのだ。

「本音」と「建て前」、どのように使い分ける? 

京都に住んでいる人から見たら、東京都内(江戸)が日本国内の主要都市となったのは、つい最近のこと。我が国の歴史の中で長い間、中心として存在したのは京都に以外ない。

江戸や東国などは野蛮人や化け物がひそんでいるところで、皇女和宮さまも徳川家茂との嫁入り話が持ち上がり、東国に向かうと言われて怖くてふるえてしまったというではないか。

そういう理由で、京都人は東京人や大阪人を1段階も2段階も下に見ており、そういった無粋な者が京都で芸子娯楽でもしようと考えても、「一見さんお断り」と見向きもされない。

旅行客への対応も、「おいでやす。ようおこしやしとおくれやしたな」とていねいなことばで喜んで迎えてくれるが、あくまでも購入してくれたり味わってくれたりするゲストとしてもてなしているだけ。 

こんな「本音と建て前を使い分ける」「公私のメリハリがきっちりとしている」というのも京都の府民性の大きな特徴だ。

京都の人同士でも、「ぜひ、お上がりやす」や「疲れをいやしていっとおくれやす」など言われたとしても、けっして上がったりはしない。

「そうどすか」という風に言って、長居でもしようものなら、見えないところで何をいわれるか……。

京の町屋で目にする「京格子」は、家屋の中より外はよく見えるが、外部から家屋のなかはわからない状態である。

すなわち、窓でもあっても中隔て、ブラインドでもあるというわけだ。誰かをいとも簡単にうちのなかにまで入れない京都の府民性がよく表われている。

京都の女の人は「自分自身を磨く」 

悲壮な決意をもって何かしらやろうとする際に、「清水の舞台から飛び降りたと思って……」といったことばを頻繁につかう。

京都・清水寺のお坊さんによると、「何もかもを観音様に任せるつもりで……」というような意味合いとして把握するのが本当らしいのだが、最近では前記のような意味合いで使用されている。 

このような「清水の……」ということば、聞けばたいへん勇ましいが、本来は「倹約家」(ケチともいう)の京都人が、高額なお金をはたくときに身を奮い起こすためにつかったという説もある。

京都人は何と言ってももったいないことが許せない、大金を支払うことには相当な勇気がいることだったのだろう。

京都と大阪の府民性の違うところを意味する「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」ということばがある。

衣類にお金をかける京都人に比べて食事にお金をかける大阪人ということだが、これも裏返すと、京都に住む人の質素な食事内容を言いあてている。

江戸幕末、その当時の京都庶民の食事は、朝食は粥と香のもの、昼はご飯を炊いて野菜ものが一品、夕食はお茶漬けと香のものが中心だったという。

飯を朝にせず昼に炊くのは、昼の方が外気温が高くなるので薪の本数があまりなくてすむから。「しまり屋」京都人のなせる知恵だ。

「京の着倒れ」にしても、実際のところは、京都の一般の女の人は、身にまとうものにそこまで資金をかけていないという。

どうやって安っぽいものをセンスよく身につけるか、そのセレクトがかなり巧みなため、地味に感じられても品のある感じではんなり高級なイメージが漂うのだという。

そして、京都の女性は自分自身を磨くことに一生懸命で、「京の厚化粧」「京女の長風呂」といったことぱもある。

そのようにして磨き上げた京女は世の中の男性のあこがれの的で、「東男に京女」とよばれた。

このことば、通常は「男性は江戸っ子が一番、女性は京女が一番」ということで使われているが、なんのことはない、そういったセッティングを夢に見た江戸っ子たちが勝手に広めたものだとも伝えられている。

京童(きょうわらわ)~何百年前より「口の悪さ」は変わらない 

京都人は口が悪いとよくいわれる。表面上は「へぇ、おおきに」「かんにんどすえ」と、やさしい言い方で人とふれあう、たとえば京都人に「ええクルマ(おべべ)どすなあ」という風にほめられても、すんなりと聞きいれてはいけない。

「分不相応どすなあ(似合ってませんね)」と言われている可能性もあるからだ、といった話もある。

京都人は裏に転じると、実に辛辣な本心をもらすともいわれている。こういった口のひどさは伝統的で、かつては口さがない京都の住人を「京童」といっていた。

よく知られたものに、二条河原に示した落書がある。「都で流行っているもの、夜討ち・強盗・にせ綸旨……」といった名調子。後醍醐天皇が「建武の新政」で決めた綸旨(命令文書)を、「にせ」と強く批判している。

この落書、悪口ばかりがずっと続くのだが、終わりのことばがふるっている。「京童の口ずさみ、10分の1をぞ、もらすなり」。言ってみれば、それでもまだ言いたいと思いことの10分の1だというわけだ。