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厳しい気象状況で鍛え上げた「がまん強さ」を持つ新潟県民

東北と北陸の間に位置する新潟県の人は、曲がったことが大嫌いでがまん強く、ウソが嫌いで使命感も強い。

郷土意識も強く、ちょっとくらいではへこたれない。それから、新潟県人は日本酒を日本で一番よく飲みます。 

「家内にするなら越後の女姓」その理由は?

新潟県の地域の特色は「三つの強い」で述べることが可能。

すなわち、「しんぼう強い」「がまん強い」「ねぱり強い」。 

冬の長い期間、全面雪に覆われた寒い県~実のところ、新潟市の辺りや佐渡の地域はそれほどまでに雪が多くないようだが、川端康成の名作の表現もあって、「雪国」といったイメージが強い。

いずれにしても、太平洋側の地域と比較すれば、大変厳しい気象状況であり・風土であることはまちがいないだろう。

その長い期間の辛い自然との闘いこそが三つの強い気質をつちかい、さらに「三強性格」、つまりは「3K(危険・きたない・きつい)」においても強い気質をもかたちづくった。 

江戸のご時世、「越後のコメつき」と言われることぱがつかわれたように、街並みを回ってコメをついたのは越後人(新潟県人)であった。コメつきは重たい杵をかついで歩き回り、申し込みがあればコメをずっとつく厳しい労働だ。 

明治時代になってからも、農家の女たちは田畑が雪で埋め尽くされると、重い積荷を背負って他県に「毒消し」の薬を販売し歩いた。

また、都内で銭湯や豆腐屋を営んでいる人の多くは新潟県の出身者であった。 真夜中に巨大な湯船の掃除をする銭湯も、朝早くから労働の必要な豆腐屋も、なかなか人がやりたがらない辛い仕事である。 

このようにして、新潟県人は「働き者」という称号をもらうようになったが、実のところこの称号の過半数は新潟の女の人に対するものだという。

「家内にするなら越後女性」といわれるように、新潟の女の人は「家庭思い」「旦那思い」、「従順」で「倹約家」。その上「労働が嫌だ・辛い」と考える女の人が少ないときている。

このようなスーパー・レディによって得をしているのが新潟の男の人。ちゃっかり「働き者」だというイメージをおすそ分けしてもらっているのだ。

けれども、お天道さまはしっかりと見ていらっしゃるもので、「新潟では杉と男の子は成長しない」と言われることばもある。

きちんとしたお母さんや姉が何もかも世話してしまうので、男は幼い子どものころから一人ではなにも成し得ることができないまま成長するというわけだ。

コメをつくることが「人のよさ」を育む 

新潟県は日本で一番収穫があるコメどころとして知名度が高い。ブランド米の「魚沼産コシヒカリ」をはじめ、年間65万トン以上の収穫高を誇っている(2012年)。

その優れた栄冠を支えになっているのが、新潟県の県民性とたゆまぬ頑張りだ。 なぜならば、コメをつくるには多くの人手が欠かせなくて手間もかかる。

ぐうたら者やホラ吹きはいつの間にか排除される。従って、新潟県人には「努力家」で「正直」な人がたくさんいるといわれるのだ。 

良いコメが収穫できるから酒もおいしい。新潟県に住む人の日本酒の1人当たり年間消費量は、15.6リットル(一升瓶約8.7本)で日本国内ナンバーワン。

2位である秋田県が11.8リットル(同約6.6本)なのでダントツだといっていいだろう(2009年国税統計年報)。まさしく、「コメどころは酒どころ」ということだ。 

さて、このコメどころの新潟(越後)にあって、コメが食べることができなかった時期もあった。

明治維新の時の戊辰戦争で、東軍(幕府軍)に仲間入りした越後の長岡藩は西軍(新政府軍)に敗れて、藩内は焼け野原となったため、長岡藩士はまともに食べることがが難しくなったのだ。

その事態に、窮状を見かねた長岡の支藩の三根山藩が米俵100俵を送り届けた。 

しかしながら、頂いた長岡藩の大参事小林虎三郎は、びっくりすることにそのコメをお金に換えて学校を建設する元手にあててしまったのだ。 

これには、空腹の藩士はおどろいた。「なんして、そんなことをするんだ」と苛立ちの声をあげた。 すると虎三郎、「食えないので教育にお金を回すのだ。

いま食えないからと教育に手を抜いたら、将来もっと食えなくなる」と言って説得したという。 

しばらくすると、この虎三郎の将来に向けた英断が功を奏し、長岡からは大日本帝国憲法の起草に携わった法学者渡辺廉吉、東京帝国大学総長小野塚喜平次、連合艦隊司令長官 山本五十六とか、近代日本の俊英が次々と輩出した-これが、よく知られている「米百俵」の話の元ネタだ。 

ただし、この話「しんぼう強い」新潟県民だからこそ我慢して結果を残すことが可能だったのだが、他県の人だと……どうなっただろうか。