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境界する線で2つに分かれる青森県の県民性とは?

津軽人は弁が立ち滑らか、南部人は穏やかで温厚。

津軽と南部の決戦は古い歴史がある。それらの共通部分を、強いて探せば「忍耐強く働き者」?「じょっぱり」の真の凄さを発揮させたら、とてつもない。

殿様が相手でも「意地を張る」

「弘前市には、未だに、ほんものの馬鹿者が残っているらしいのである」津軽が生んだ有名作家太宰治が、郷里を思い描いた『津軽』のなかの一節だ。

太宰が言う「はんものの馬鹿者」というのは、「敗れても敗れてもつわものに頭を下げる事を知らず、自矜の孤高を固守して世の中の笑い者となる」人間のことを言っている。

平たくいえば、「意地っ張り」「強情っ張り」のことを言い、そのような性分にある人を、青森県では「じょっぱり」とよんでいる。

「負けず嫌い」にも近いものがあるが、その点については自分の本心をしっかりと持ち続けるという固い決意がある。

この青森のじょっぱりの歴史は古い。津軽(弘前)藩の家老、進藤庄兵衛は、まさしくじょっぱり藩士であった。

第四代藩主の津軽信政は「中興の英主」と呼ばれていたほどのすぐれた君主で、藩の文化改革に力を入れていたが、その流れで「仮屋形」と言われる参勤交代のときの休憩所を建てた。

この休憩所、本館のまわりには三河(愛知)の名勝「八橋」を参考とした庭園もある素晴らしいものだったが、庄兵衛には気に入らなかった。

殿様の信政が、休憩所ぐらいでたくさんのお金とたくさんの労役をつぎ込んだことが不満だったのだ。

信政が庄兵衛を連れ仮屋形に足を運び、休憩所の造りのよさを自慢すると、庄兵衛は「領民を使役したくさんのお金を費やして好きにするのは人君(君主)のすることではありません。

その代わり倹約して民に施すこそ善政と言えるでしょう」と水を差し、ついでに信政のご自慢の庭園までこきおろす。

信政は苦笑いを浮かべて「一緒に庭園を散歩しよう」と声をかけたが、庄兵衛はそれも断った。そうすると信政は、庭に出ない理由は年老いて寒いからだろうと気を配り、自前の羽織を脱いで庄兵衛の肩に引っかけてやった。

けれども庄兵衛、「自身の羽織を羽織っています。積み重ね着たら暑くてかないません」と、殿の羽織を脱いでしまったのです。

家老とは言えども殿様に向かって、いやはや、手のつけようもないじょっぱりぶりだ。

ところが、そんな庄兵衛にカッとせずにつき合った信政も名君とされる器。信政と同じく「年長者を尊敬する」というのもまた青森県人の典型といえる。

「強情っぱり」はリンゴの呼び方にも

青森県と言ったら、名産のリンゴ。生産高は国内一位。青森のリンゴが日本中で知られる名産となったのは、明治時代に帰農した津軽藩の旧士族たちのおかげだといわれている。 

ところが、「武士の商法」とは違うが、侍であった彼らはプライドが高かったのだろう。

自分たちが新たな形で生産した西洋リンゴを、日本にかねてからあったリンゴと区分するために「アップル」と呼んだ。漢字も「林檎」ではなくて「苹果」をあてた。「拙者らがつくったリンゴは、農民たちが食べているリンゴとは違うのだ」というわけだ。

これもまた青森県人のじょっぱりらしさといえるが、これぐらいはまだかわいい。1893(明治26)年、北海道と東北の6つの県、新潟のリンゴ生産者の責任者が仙台にそろったときの青森県人のじょっぱりは素晴らしかった。

会合の議題は、その当時の最優良種である晩生種のリンゴの呼び名が、各道県それぞれでバラバラだったので一緒にしようというもの。

筆頭産地の青森の責任者は、雪が降ってその後に収穫するくらい晩生ということから「雪ノ下」を主張。

ところが、このプランは山形や福島の責任者に反対された。それはそうだ、山形や福島では気象状況が青森のように厳しくないから、「雪ノ下」という名前ではイメージに沿わない。

実際のところ、「雪ノ下」は青森県人の勝手な言い分でしかない。

そのことを他県に指摘されれば、「なるほど、そうですね。これでは全国のブランドということにはなりませんね」とトラブルにならないようにと穏便に返答するだろうが、青森県人はそうではなかった。

青森の代表は「これを通してもらえんのなら、帰るべぇ」と座っていた席を蹴り、その場から退場してしまう。

そうして、他の日本国内統一の名称が決定したあとも、青森県だけは「雪ノ下」という青森県だけの名称を貫きとおしたのだ。

その後、雪の下は「国光」という名称に名をかえ、見かけることも少ないが、現代のリンゴで有名な「フジ」に受け継がれている。

それにしても、こんなにまで意地を張るというのは、子どもがダダをこねるのと変わらない。青森では、そういったことを「ごんぼほる」といっている。

じょっばりと、ごんぼほるは紙一重、愛すべきじょっぱり、それこそが青森の魅力に違いない…。

外交的な「津軽人」、保守的な「南部人」

「じょっぱり」それこそが、青森県人の典型的な気質だと感じられるだろうが、日本海側の「津軽」地域と太平洋側の「南部」地域とでは、気候もだが気質も違う。

気候を比較すると、津軽の冬は雪が多く、南部は雪は少ない。しかし南部では、からっ風が吹く。

ふつうに考えてみると、雪の深い津軽に暮らしている津軽人のほうが内向的で、雪の少ない南部に暮らす南部の人のほうが外向的に感じられるが、意外なことに両者の気質は反対だ。

津軽の夏季は暑くて稲作にちょうど良い穀倉地帯。

日本海を通じて他国(他藩)との交易も多かった。なので、津軽人は「外向的」であり、「進取の気性」にも富んでいて「進歩的」。

南部は、夏季もさほど暑くないため畑作がほとんど。また、江戸時代に南部藩は盛岡藩というふうにもいわれたように、現代の岩手県に属していた。

なので、南部の人はどちらかと言えば岩手県の県民性に近い、「内向的」で「保守的」なのだ。