神戸は「オシャレでセンス抜群な都市No1」そうであっても、お金のムダ遣いはしません。洋服などのコーディネートも商売も、「アイデア」が勝負。
神戸は横浜と同じように、港町なので、遠い海の向こうの他国より新しいものがいち早く入って来たのだろう、「日本で初めて」といったものがいろいろある。
1896(明治29)年11月25日、神戸で映画の原型ということもできる「キネトスコープ」が一般に公開された。
これは歴史上でも有名なエジソンが発明した機械で、箱型の上部分にのぞき窓があり、その部分から視ると小さな写真が動くというしくみになっていた。
その日、上映されたは、トランプや射撃をおこなっている場面だったという。
次の年には画面に映像を写すという現代のような「シネマトグラフ」が日本に入ってきて、それが公開されると、皆がキネトスコープには興味をもたなくなった。
けれども映画に携わる人は、キネトスコープの公開を大切にし、11月25日に近い、キリのいい12日と1日が、いまでは「映画の日」とされている。
センスがいい都市だと支持される神戸
映画以外にも、登山ができるところやゴルフ場をオープンしたのは神戸が初めだと言われている。日本国内、初のゴルフ場は1903(明治36)年、六甲山にできた「神戸ゴルフ倶楽部」。
始球式ではその時に県知事であった服部一三だった。このゴルフ場は山のなかにあって、交通の便もまだ整備されていなかったので、プレイする人は山を歩いて登るしかない。
ゴルフ場に着いたころにはゼーゼーと息があがってっしまって、休憩をしてからではないとプレイできなかったというから、ゴルフをしに行ったのか山登りに行ったのか……。
そういった神戸の歴史を反映してなのか、兵庫県の人々は「初物好き」だと思われている。
とくに、神戸に住んでいる人たちは常に新しい文化にふれてきた歴史を持っていて、「センスがいい」。
都市の魅力調査において、「センスがいい都市」という項目の第1位に選ばれている。
「5つの顔がある」県民~実際の姿は?
兵庫県は日本海にも面していて、「5つの顔がある県」というふうにもいわれる。
摂津は柔らか、播磨は新しもの好き、丹波は勉強家、但馬は我慢強く、淡路はオープンというふうに、エリアで持ち味は異なるが、兵庫県全体としては、「控え目」だったり「スマート」だったり「人あたりがいい」と思われている。
自らの主張はしないけど、自分だけの持ち味が際立つのだろう。兵庫県の人たちには「企画力」を持つ「アイデアマン」がたくさんいるのだ。
東京第一高等中学校(あとの旧制一高、東大)で経済学を指導していた和田垣謙三博士も兵庫の出身地だ。
あるとき、下宿屋のご婦人が病になり、和田垣よりわけのわからない見舞いの手紙が届けられた。
「狼さん、象な犀ました。虎はお熊りで豹、馬の牛に鹿り貂と猪にかかわります」こういった暗号みたいな手紙を翻訳すると、「おかみさん、どうなさいました。本当に困っておいででしょう。
いまのうちにきちんとせんと、生命にかかわります」和田垣は以降に、国内で認められるようなアイデアも発表している。
1889(明治22)年2月11日、大日本帝国憲法発布の日なので明治天皇が代々木練兵場で観兵式を実施することになり、東京第一高等中学校の学生みんなが宮城(きゅうじょう)前にて出迎えることになった。
ですが、ずっと立ち並んで迎える限りでは能がない。フランスの「ビバ フランス!」みたいに、なんでもいいのでしゃれたことを全体で叫ぼうということになり、教員方がアイデアを出していった。
そして全会一致で決定したのが、和田垣博士が申し入れした「万歳三唱」。本来は「万歳!万歳!万々歳!」というように叫ぶ予定だった。
けれども、その日、最初の「万歳!」に陛下の乗っていた馬車の馬がビックリして棒立ちの状態になった、第二の「ば・ん・ざ・い……」は声が少し小さくなり、第三声は消えてしまった。
このように「万々歳」はなくなり、その後の時代は、「万歳」のみを三唱するようになったという。だが、万歳三唱は兵庫県人のアイデアからスタートしたのだ。
時代が変わり、この兵庫県の人のアイデアそして企画力がいきなり爆発したのが、1981 (昭和56)年に行なわれた「ポートピア81」(神戸ポートアイランド博覧会)。
神戸港沖、すなわち海中に人工的な島をつくるという、とんでもないことを考案した。 その結果、博覧会は文句なしの大成功。兵庫県人が考え出すことはやっぱり持ち味がある?
「アイデア十人情」でできた、このような名物兵庫県人の「初物好き」「アイデアマン」ぶりは、食べる物においても表われている。
卵とタコのみを使用してつくられたふっくらとやわらかい「明石焼き」は、実を言うと江戸時代からのアイデア品その当時のの明石の特産物「人工珊瑚」をつくるのに卵の白身をつかったので、黄身だけ余ってしまったのです。
「黄身をどうにかしたい」といった思いから考案されたのが明石焼き。けっして「タコ焼きの明石版」ではないそうだ。
このほど、全国的というほどになった節分の晩にいただく「恵方巻」も兵庫が発祥の地。 卵やかんぴょうなどが入った太巻きずしを、その年の恵方(縁起のいい方角)に見て、ファミリーそろってガブリ。
これによって願い事がかなうという、ムダのないとても賢い習わしだ。 近頃、話題を呼んでいる「そばめし」も兵庫が発祥の地で、その歴史は1955(昭和30)年ごろまでさかのぽる。
神戸市内のお好み焼き屋に、とある客が残りものの冷えた飯を持ち込んだのを見て、店主が「そんな冷えたもん食べても、うまくないだろ~」と焼きそばとご飯を一緒に温めてあげたのがスタートだという。
兵庫県の人は企画力だけでなく、人情味も厚い。