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滋賀県民はいい意味でも悪い意味でも知恵が働く?

海はないけれど、近江商人も県民も恵みをもらっている「琵琶湖」が誇りである滋賀県民。

「こすっからい」は、素直・勤勉・倹約のほめことぱだと捉えていて、本心は見せないようにしながら暮らしているようだ。

滋賀県は「近江商人」の誕生した土地。伊藤忠や丸紅は「近江商人系商社」である。

伊勢商人と並び商売がうまいとして知られる近江商人は、その第一歩を行商からスタートするのを常道とした。

有数の豪商を生んだ「もったいない」精神

とりあえずはおのれの知恵と足(汗)で当たり障りなく稼ぎ、やがては富商、豪商へと上りつめていくのだ。

そのような稼ぎ方は、まず近江の特産物である蚊帳や畳表、麻布等々を背負ってで関東や東北、遠くは北海道まで行商に出て行く。

そこで商品を販売仕切ったら、その代金で各地の産物を買いまくり、帰路や帰国したあとに、またそれらを販売して、さらに儲けるというものだ。

自分の国のものだけでなく、他の地域の特産物までちゃっかり行商してしまうところがミソだ。 

このような近江商人のやり方を「さすが近江商人、商才があるな」と評価するか、「なんか、こすっからいな」とバッシングするかはおのおのだが、「近江商人骨までしゃぶる」という諺も存在するように、近江商人には、何においても「強欲一のイメージがつきまとう。 

また、「近江泥棒、伊勢乞食」とよく引き合いに出されるように、勝負どころとなったら、伊勢商人(三重)は物乞いをするが、近江商人は泥棒を始めてでも生きていこうとするという。

両方を比較すると、悪事に手を染めてでも生きていこうとする近江商人のほうが、どうも外聞がよくない。

しかし、視点を変えれば、近江の人の方が行動的であり、パワフルと見ることもできるのではないだろうか。 

実際に、近江商人が成功したのは、「実直」「勤勉」「倹約」というほめられるべき美徳のたまもの。

ただ、そのうちの倹約を少々やりすぎたきらいがあって、後世、「こすっからい」とか「抜け目がない」といわれるようになったのだろう。 

近江商人の商売の原点には「もったいない」という、いろいろな物を大事にする心がある。そして、この心は昔から滋賀県人に共通のものである。 

豊臣秀吉につかえた武将・木村常陸介重茲は、あるとき、さびついた槍を所持していた子分を呼びつけ、「武士の魂である槍を、どうしてそのように粗末にしてしまうのか」と注意し、「わしの槍を見るがよい」と言って鞘を払った。

すると、それにも真っ赤なさびが…。 そこで常陸介、「どうだ、見るがよい。わしでさえ気を許せば、ほうれ、このとおりだ」。

槍を粗末にしてはいけないという大切な教えを、身をもって教えようとしたのはよかったのだが、抜け目がないはずの近江の人にも失敗してしまうことはある。

知恵が働く「近江商人」の末裔たち

近江商人誕生の地である滋賀県の男たちには、「商売上手」で「抜け目がない」という、よく言ったら「仕事ができる」、悪く言ったら「油断ならない」といったイメージがある。

しかし、滋賀県には比叡山延暦寺などの歴史ある寺も多く、「信仰心が篤い」というのも県民性のひとつなのだ。

その理由に、滋賀県では明治時代になってからも、牛肉を口にすることは仏の道に沿わないとして避けてきたらしい。

そして「このようにしてこれまでずっと滋賀県人は牛肉を食べてきませんでした」ということであれば、さすが信仰心が篤いと尊敬することができるのだが、そこは賢い滋賀県人。

指をくわえてただ牛肉をジッとみているわけがなかった。ましてや、美味で有名な近江牛。 滋賀県人は思った。

そのあげく「仏さんの見てる前で食べるさかい罰があたるんじゃないか。

そやさかい、見えんとこで食べたらいいじゃないか」といった理屈をひねり出して、自宅で牛肉を料理するときは仏壇を閉め、食べるときは仏壇からは死角である部屋や土間、庭先をつかったという。

う~ん、どこまで知恵が働くのだろうか……。 

一方、滋賀県の女の人はどうかというと、「堅実」で「緑の下の力持ち」と好印象だ。 滋賀の女性の代表ともいえるのは、土佐藩初代藩主の山内一豊の嫁である千代だろう。

近江国小谷城主浅井長政の家臣の娘として誕生した千代は、有名な馬をほしがった夫のためにベッタリの黄金10枚を見せて、夫の出世を助けたという。

貧乏世帯のなかで質素倹約してお金を貯めておき、ここぞというときに夫を救う内助の功。真の「妻の鑑」、滋賀の女の真骨頂である。