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派手なのが大好きな伊達者~宮城県民の「意外な素顔」

宮城県の中心地・仙台は、「独眼竜」と呼ばれた仙台藩主伊達政宗によって城下町として建設された。それまで「千代」と記していた地を「仙台」と直したのも政宗だ。

けれども、その政宗は仙台で誕生したわけでもないし、陸奥国の生まれでもない。政宗は出羽国米沢藩(山形県米沢)の城主伊達輝宗の子として誕生したのだ。 

ところが、いまの宮城県の県民性は、この政宗に大きく影響されている。 その典型が「粋」で「任侠心」があり「派出好き」な。”伊達”という気質。 

「青色のダルマ」は、しゃれ者の証? 

豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍するため、政宗の軍勢も京都にやって来たが、そのときの家臣のいでたち装いがひときわきらびやかだったため、京の人々はびっくり仰天。

それからというもの、華美な装いをしている大を見ると「伊達衆かいな」と言うようになったとか。 

政宗がそんないでたちで上洛したのは、しゃれ好きな政宗のダンディズムによるとも、京の人々に東国の田舎者と馬鹿にされまいとした対抗心の表われともいわれる。 

ちなみに、政宗のおしやれ感覚は縁起物のダルマにも表われ、仙台のダルマはとってもきらびやか。正面は青を基調とし、おなかの部分には宝船などが浮かんでいる。

この青ダルマ、赤ダルマを見慣れた人には新鮮ではあるが、どこか変。しかし、地元の人に言わせれば、赤ダルマのほうが「おかしかっぺ」となるのだ。 

どちらにしても、この政宗が披露した伊達という気質は宮城県人に受け継がれ、東北六県のなかで宮城県は最も都会的であり、「東北の中心」と称されることも多い。

そのせいか、宮城県人は「東北人であって東北人でない」と思っているフシもある。 

他県人から見れば、宮城県人も青森県人も岩手県人も同じ「東北人」なのに、宮城県人、とくに仙台に生活する人々には、「青森や岩手の田舎もんとは違う」とぱかりに、 都会人としての「優越感」や「プライド」が見え隠れする(?)。 

歴史的にも、旧制高等学校は、第一高等学校こそ東京に譲ったものの、第二高等学校は大阪でも名古屋でもない、仙台に設立された。

軍隊だって、陸軍の第一師団は東京に、そして第二師団は仙台につくられた。そのような経緯もあってか、宮城県人は伝統的に「宮城は東北の東京のようなもんだっぺ」と自負しているのだ。

牛タン、温麺、ずんだもち・・・特産品が「地味」なワケ 

宮城県人は「食の発明王」ともいわれる。「冷やし中華」を国内に広めたのも宮城だし、「牛タン」発祥地もなぜか宮城県。

一つの説によると、1952(昭和27)年、仙台市内の定食屋の主人がはじめたといわれる牛タンは、元をただせば「廃物利用」だった。

仙台市内にあった進駐軍のキャンプでは、牛肉は食べるものの内臓やタンなどモツ類はゴミとなっていた。

そこに目をつけた定食屋の主人が、安価で仕入れて調理方法を工夫したところ誕生したのが牛タン料理。

まさに食の発明王の名にふさわしい。 宮城県には他にも、牛タッ以前の名物土産「笹かまぼこ」や「温麺」「ずんだもち」など食の名産品が多数ある。

だが、そんな宮城県の名産品に、「たしかに、どれ も美味しいんだけど、なんか地味なんだよね」と思う観光客もいるだろう。たいへん失礼な話ではあるが、まんざら的外れな感想ではない。

というのは、ここでも伊達政宗の影響が大きく、宮城県では見栄えのよいごちそうが育ちにくかった歴史があるのだ。 

政宗は「伊達もの」の元祖みたいな人だったが、若い時は粗食に耐えていた。

それで「いつか天下を取って、うまいものを食べたい」と思っていたのだが、そのとき夢にまで見たごちそうというのが「豆飯」に「芋の子汁」「イワシの焼き物」……地味なのだ。

そんな政宗だから、タイやヒラメの驚くようなごちそうなんて、とんでもない。領民たちにも「朝夕の食事うまからずとも、ほめて食うべし」と命じた。 

これでは、宮城県に見栄えのよいごちそうが誕生しなかったのもしかたない。だが、おコメはうまい。

宮城米の「ササニシキ」や「ひとめぼれ」が日本で一番美味しいと思っている宮城県人には、他県のごちそうは必要なかったのかもしれない。

だからこそ、その反面、誰もが食の発明王になれる素地ができあがったということだ。