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大阪に住む人の「面白さ」の裏側には上方の歴史がある

周囲との会話の中で次のネタを頭の中で常に考える。「おもしろい奴だなぁ」と言われることが嫌でメールやラインも当然ながら大阪弁?

サービス精神は旺盛だが、見栄はいらん、イイカッコもせん、本音で生きているのがどうやら大阪人のようだ。

日本全国において窃盗犯を検挙する率が一番低いのが大阪府、という調査結果(2012年)がある。

必ずしも、大阪の警察官や刑事が泥棒に対して寛大というわけではないだろうが、「がめつい」「しぶちん」とされている大阪の人の「他人の持つお金には興味がない」という一部分を目にするようでもある。 

社会的な問題の「振り込め詐欺」においても、「オレなんだけど、消費者金融に追われていて、今日中に返さないとマズイんだ」と話すオレオレの初期段階の手口に比べ、最もひっかからなかったのが大阪府民。

「どうして、子どもの借入金、保護者が払わないかんの? あなたがなんとかしいや」でガチャン。 

けれども、その後に始まった「年金の未払い分を返金しますので、金融機関へ行って当方の指示とおり処理してください」という最新の手口になると、ダントツにひっかかったのが大阪府民。

「え?なんやて?お金もらえるんでっか?」と、すかさず食いついたという。家族といっても金の貸し借りには厳しい大阪人。

ところがどっこい、頂けるものならなんでも手を出す大阪人。

徹底された「合理主義」のたまもの

先のような府民性を府民以外の県の人は「がめつい」というが、実を言うとこれは造語。

作ったのは、『がめつい奴』で人気を集めた劇作家の菊田一夫。 

菊田本人は横浜が出身地だが、小学6年生のときに大阪の薬問屋に丁稚奉公した。

『がめつい奴』はそんな体験をベースとして書き込んだ作品だが、菊田はその当時身に付けた早飯の習慣が抜けきらず、成人してからも食事は2、3分で済ましたという。

また、大阪府で生まれた山崎豊子の小説『暖簾』には、昆布問屋の丁稚が昆布のクズを掃いてそこの主人に怒られる場面がある。

そんな大阪の商人道を聞いたら、東京人の目には「なんだか貧乏くさい」とか「みみっちい」といったように映るようだが、大阪人のこういったお金の感覚はいわゆる「ケチ」とは異なる。   

ものを大事にして、無意味なお金は使わないという合理主義に基づいているのだ。ついでに言うと、『暖簾』の問屋の主人は丁稚を注意したときに、「こうやって生活できるのは昆布様のお蔭だ」と言っている。

この書物は、大阪商人の考え方を活写したといわれている。

あの秀吉までも手玉に取ったという「大阪商人」強い心 

大阪には「商人の町」と言われる歴史が詰まっている。戦国の世から江戸の時代に及んで数多くの人が豪商を生み出し、大阪や上方の商人の凄さを世の中に知らしめてきた。

そのたくさんの大阪商人の中において、「したたか」で、明らかに大阪人といえそうなのが現時点のフィリピンで大活躍した呂宋助左衛門。

「呂宋」というのはフィリピンの呼び方で、本当の名前は納屋助左衛門。「納屋」というだけに倉庫や運送、海産物の問屋まで行なっていた堺の豪商一族の家で誕生したともいわれている。 

助左衛門の生涯のなかで最も良く知られている実話が「呂宋の壺」。フィリピンから持ち帰った50個の大きいお茶の壷を豊臣秀古に献上した際のこと。

その時、諸大名の問では茶の湯が大流行していて、みんなが名器を狙っていただけに、秀吉は上機嫌。

けれども、公の場では茶の道を良く知っているような顔をしていたが、実際には茶器の値打ちは「よくわからんでよ~」ということで、茶匠の千利休に鑑定をお願いした。

すると、利休は「非常に珍しい壷でございまする」とひと言伝えた。それから、天下の茶匠である利休が承認したとあって、秀吉は大喜び。

すぐさま、諸大名を招待してオークションをオープンすると、名高い器というのを耳にして、われもわれもと高額で買いあさり、短時間でパッと47個のお買い上げ。

残っていた3個も秀吉が買い取って、その日のうちに売り切れてしまった。

こうやって助左衛門はお金を手に入れたのだが、実をいうとこの名器と考えられていた呂宋の壷、フィリピンではよくあるような二束三文の安物だった。

一つの説によると、骨壷とも便器とも言われている品。そんな安物雑器でまんまとお金儲けをした助左衛門、ペテン師のようにも思われるが、それについてはしたたかな計算があった。 

呂宋の壺が高いものではないということは、知っている人が確かめてみればすぐにわかる。大名の中にも目利きはいる。

ところが、秀吉が素晴らしいものだと認めた品ということならば大名は高い値段で買わざるを得ない。

「太閤様、こちらの品物は安物ですよ」などと言おうものなら、「おみゃ~は、わしの目が節穴だちゅうのか」と怒りをあらわにして、もしかしたら首が飛ぶことになるかもしれない。

ですから、全員が「これは名器だ」と購入するにちがいない、と助左衛門は見込んでいた。

だとしても、この出来事は、ひとつまちがえれぱ助左衛門自身の首も飛ぶ非常に危険な商談。どうして助左衛門はそのようなことをしかけたのか。

秀吉は大坂の町をつくるのに川を掘り、橋をかけたが、その費用を負担したのはその地域の大坂商人。

それからも、秀吉は何かしら商人に献金を強制的に行い、それにうんざりした商人はどんどん倒れ込んでいった。釛左衛門はそのような秀吉に一矢報おうとひと芝居打ったのだった。

そういった助左衛門の心意気を反秀吉の利休は瞬時に読み込み、助左衛門のために「たいへん珍しい壺」だと品評した。すなわち、知らないのは秀吉だけ、裸の王様といったような裏があったのだ。

天下の権力者から富を奪い返した助左衛門、まさに浪花の「ど根性」男といえる。